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1:梨野舞納
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2015/04/20 (Mon) 23:07:28
host:*.infoweb.ne.jp
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https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_625800/625701/full/625701_1429538848.jpg
色々と検索していたら偶然こちらのサイトに辿り着きました。
私も0歳から24歳まで中央バス・ニセコバスの沿線に住んでおりましたので、懐かしく拝見させて戴きました。
北海信金蘭島代理店が新規開店した頃の事は覚えていたのですが、そこが蘭島待合所だったとは知りませんでした。
仁木役場のはす向かいにあった仁木待合所(既に閉鎖されていましたが)の事は覚えています。
添付した画像は、実家に置いてあるコレクションの一部です。
私が忍路のふそうに出会った時は既に方向幕は失われていましたが、同じ人が書いたのだと思います。
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2:Shin
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2015/05/05 (Tue) 00:00:35
host:*.access-internet.ne.jp
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https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_625800/625701/full/625701_1430751635.jpg
こんばんは。初めまして。
お返事が遅くなりましてすみません。
貴重な方向幕ですね! もちろん横幕ですね。
独特の筆字といい、しかも経由地が緑色ですし、当時は入舸経由と呼ばずに幌武意経由でしたね。 懐かしいですね。。
古平も日司も余市発??だったのですね!
(余市発もあったということでしょうか。。)
忍路の廃バス、小学生の頃に初めて見た時は前も横も方向幕は付いていて、回して遊びました。
「日司」の文字もはっきり覚えています。当時は「野塚」だったので、日司行きがあったんだなということを覚えています。
三十何年振りに、この方向幕の文字を懐かしく見させてもらいました、ありがとうございました!
文字は、やはり同じ人が書いているようですね。。
仁木の待合所は、全くわかりませんです。
あったのですね。
今の仁木西町に仁木の郵便局があって、そこが仁木局前ってバス停だったことしかわかりません。
親戚の家がそのバス停の目の前にあり、何度か母に連れられ行ったのですが、なぜかそこの仁木局前のバス停だけが丸板でない停留所でした。 普通の停留所よりも少し良い形のでした。
でも、仁木の待合所、今何度も思い出してみても記憶がないのですが、もしかしたら蘭島と同じような大きな建物があったような記憶が。。
親戚の家へ行くことが、まだ小さかった私は面白くなくて、母に待合所に行ってみたいって言ったら駄目だって言われたような、そう言われたらそんなことが思い出してきたような、、違ったかなぁ??
待合所があったんだよ。と言われたら、年とともに忘れかかってきた思い出がなんとなくって感じで思い出してきたように思います。
塩谷も蘭島と全く同じ待合所がありましたが、塩谷は蘭島よりも早くに取り壊されています。が、停留所の名称は、なぜか平成になるまでも「塩谷待合所」でしたよね。
話が逸れましたが、仁木も塩谷と同じくらいに早くに閉鎖されたのではないでしょうか??
いつの間にか無くなってたみたいな感じで。。
こちらの路線バスの部屋のページは、今は全くと言っていいほどに更新をしていないため、こちらのBBSに投稿して頂いても気が付かないことが多くて、申し訳ございませんでした m(_ _)m
また遊びに来てください、ありがとうございました。
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3:梨野舞納
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2015/05/08 (Fri) 21:52:28
host:*.infoweb.ne.jp
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https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_625800/625701/full/625701_1431089548.jpg
返信ありがとうございます。
前に添付した画像の方向幕は1966年式の余市営業所の車輌に装着されていたモノで、1974年頃まで使用されていたのだと思います。
リンク先に掲載されている1965年の時刻表に拠れば、当時の積丹線は余市~美国間について見れば30分間隔と現在では考えられない程の高頻度運転だったようですが、余市発着便もそこそこの数がありますね。
実はこの余市営業所の幕には、小樽発着の積丹線のコマは有りません。小樽発着便は美国営業所(出張所)と現在の真栄営業所(当時の小樽駅前営業所?)だけが担当していたのかと思います。
今回添付した画像は、1967年式の車輌に装着されていた方向幕の一部です。小樽駅前営業所?所属車で、コレには「美国」「余(丸山経由)別」「余(幌武意経由)別」の他に「入舸」「日司」「野(入舸経由)塚」なんてコマも入っていました。同時期の余市の幕には無かった入舸と野塚が入っているのが謎です。
ところでShinさんに質問なのですが、リンク先時刻表の蘭島線のところに書いてある「塩谷海岸通経由」の意味がお分かりでしょうか? 塩谷から右手に分かれて塩谷文庫歌の手前で合流する道路の事を言っているのでしょうか……?
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4:Shin
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2015/05/20 (Wed) 08:14:36
host:*.access-internet.ne.jp
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書き込みしていただき、ありがとうございます。
余市営業所の幕で小樽発着の積丹線のコマがないということは、やはり余市発着便のみだったということなのでしょうね。
銀山線や赤井川線などもあるのでしょうか?
それにいたしましても、時代を感じますね。
昭和40年5月改正の時刻表には驚きました。
各駅倉庫さんのページですね。
蘭島線の「塩谷海岸通経由」というのは初めて知りました。
当方まだ生まれていないですし、そのようなルートがあったということも聞いたこともないので、新しい発見です!
おっしゃる通り、塩谷から塩谷海岸方面へ向かって、文庫歌の手前で合流する道と思います。
もともとそっちが国道だったのかも。国道が切り替わったけど蘭島線だけは旧道のままだったとか。。定かではありませんけれど。
桃内行きがあったのも感動しました。
他もいっぱい幻の路線がありましたね。
仁木線、砥の川入口が終点で本数も多いこと。今では考えられないですね。。
豊浜鉱山も。。
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5:梨野舞納
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2015/05/22 (Fri) 08:37:26
host:*.google.com
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https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_625800/625701/full/625701_1432251492.jpg
返信ありがとうございます。
先日、仁木町に立ち寄る機会がありましたので仁木待合所の現在の姿を撮影してきました。
一階の左側に待合室の入り口があり、全面的にリフォームされてはいますが建物自体は当時のものだと思います。
「中央バスファンクラブ」サイトに仁木待合所建築中の写真が掲載されてますが、残念ながら不鮮明でよく分かりません(^^;
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6:梨野舞納
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2015/05/22 (Fri) 10:21:03
host:*.google.com
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https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_625800/625701/full/625701_1432258061.jpg
こちらの画像は、1963年式の余市営業所ツーマン車に装着されていた幕です。
だいぶ薄れてはいますが、「余市高校前」「仁木(砥の川入口)」「豊(稔中央)丘」の部分です。前に紹介した横幕には仁木線のコマは入っていません。
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7:梨野舞納
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2015/05/22 (Fri) 10:35:04
host:*.google.com
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https://bbs2.fc2.com//bbs/img/_625800/625701/full/625701_1432258751.jpg
連投失礼します。
こちらは同じ余市ツーマン車の幕で、かなり朽ち果てていますが「大江農協前」「登(小学校前)」「豊浜町」の部分です。
実際の終点は「豊浜鉱山」ですが、方向幕は省略して「豊浜町」だったようですね。